「関東が先に梅雨入りしました」とは聞いていましたが
いつの間にか中国地方も梅雨入りしたそうです。
ゲリラ豪雨のような雨が最近多かったので
こういう しとしと降る雨は平和で良いなぁと思います。
農作物のためには、雨は必要。
天気痛と闘いながらいこうと思います。
さてさて、今日は「社会性って難しい」の話。
「岡山県自閉症児を育てる会」という法人名が示す通り
赤磐ぐんぐんはASD(自閉スペクトラム症)のお子さん対象の事業所です。
ASDは、すごーーーく簡単に言うと
・対人コミュニケーションや社会性の違い
・興味関心や想像力などの違い
があります。
この「社会性」だけで、講演会すれば3時間コース以上!
・アイコンタクトの独特さ
・表情の使い方や相手の表情の読み取りづらさ
・自分の気持ちを相手に伝えることの難しさ
・他の人の視点や心情に気づきづらい
・距離感の課題(遠すぎ・近すぎなど)
・状況や相手や親しさによって関わり方を変えることの難しさ
・挨拶や謝罪やお礼などを自然に言うことの難しさ
などなど
あれこれあります。
同じASDのお子さんでも
現れ方が全然違うのでこのあたりも分かりづらいなぁと思います。
また、教え込めば知識としては増えていきますが
それを実地で意味をしっかり理解した上で活用していくことは
なかなか難しいことがあります。
最近、娘(年長・ASD)とのやりとりで
「ASDの社会性って難しい!」と思ったことがあるので紹介します。
「今日、園で、○ちゃん泣かせちゃったんだよね」
「ほう。何があったの?」
「なんか、わざとじゃないんだけど、○ちゃんのブロックにぶつかって壊れちゃったんだ」
「それで、どうしたの?」
「謝ったよ」
「どう言って謝ったの?」
「『○ちゃん、ごめんね。わざとじゃないけど壊しちゃってごめんね』って」
「上手に謝れたね」
「うん、その後○ちゃんと一緒に壊れたところ直したよ」
「優しいじゃん」
「でしょ」
「なんで『ごめんね』って謝ったの?」
(松田は「悪いことしたから」とか「泣いてしまっていたから」とかの答えが出ると期待中)
「だって謝らなかったら、先生に言われるもん」
「ん?どういうこと?先生に怒られるってこと?」
「ちょっと違う。
すぐに謝らなかったらね、
○ちゃんが『娘ちゃんがブロック壊した!』って言いつけに行ったり
周りで見ている子が『娘ちゃんが○ちゃんを泣かせました!』って先生に言いに行くの。
そしたら、先生にめっちゃ怒られるじゃん。
それが嫌だから、謝るのよ」
おおっと・・・。
つまり実害を避けるために、とりあえず謝るってことらしいです。
「な、なるほど。
○ちゃんが泣いて可哀想だなとかは思ってる?」
「それは思ってるよ。
でも、先生に怒られたくないからって方が大きいの」
ふむ。
「そしたらさ、先生に怒られた時とかには謝るの?
いうこと聞いていなくて、とか怒られることあると思うけど」
「んー、謝った方がいいのは分かってるんだけどさ
もうやったこととかできていないこととか、
ばれちゃってるから
なんか謝れないこと多いかも。黙っちゃう」
メリットがないと謝れないこと、判明でございます(^^;)
先日、育てる会の「支援者のための即実践講座」で
加藤先生が海外のプログラムの説明をしてくださっている中で
他の人はこういう風にしているよ、こういうやりとりをするみたいよ
というような知識を知り、学び、出会っていくことは
ASDのお子さんにとって大切である一方で
それは
「そういう風に行動しなさい」と強制することとは違う。
色々な価値観や検討を伝え、
「他の人はこう思っていて、自分もそれをしたいと思うかもしれない」
「他の人はこう思っているらしいけど、自分はそれはしない」とか
そういう知った上で選ぶか選ばないかは
その人の自由だという考え方を教えていただきました。
「悪いことをしたら、必ず謝らないといけない」
「ごめんね、と言われたら、絶対に許さないといけない」
「お友達が『入れて』と言ったら『いいよ』と答えなさい」
などなど
つい親や周りの大人は出来杉くん風の子どもにしようと思いがちです。
でも社会性って本当に奥が深くて
自分以外の皆がそういう道徳的というか、決まりやルールを守るものでもない時に
「なんで謝ったのに許してくれないの!!」
「『入れて』って言ったのに『あとで』なんてひどい!いじめだ!」となると
それはそれでトラブルになるというか。
多様な考え方を知った上で
どれを選んでどう使っていくか
毎日が学びの応用なんですよね。奥が深い…むずい…
幼児期~学齢期・思春期は相手もまだまだ成熟しきっていません。
教えられたことを律儀に学ぶ子どもたちに
「社会性」から派生する「人付き合い」を無理なく教える際
「これが正解」と私たちが頭を固くしないようにしなければなと思うエピソードでした。
いつの間にか中国地方も梅雨入りしたそうです。
ゲリラ豪雨のような雨が最近多かったので
こういう しとしと降る雨は平和で良いなぁと思います。
農作物のためには、雨は必要。
天気痛と闘いながらいこうと思います。
さてさて、今日は「社会性って難しい」の話。
「岡山県自閉症児を育てる会」という法人名が示す通り
赤磐ぐんぐんはASD(自閉スペクトラム症)のお子さん対象の事業所です。
ASDは、すごーーーく簡単に言うと
・対人コミュニケーションや社会性の違い
・興味関心や想像力などの違い
があります。
この「社会性」だけで、講演会すれば3時間コース以上!
・アイコンタクトの独特さ
・表情の使い方や相手の表情の読み取りづらさ
・自分の気持ちを相手に伝えることの難しさ
・他の人の視点や心情に気づきづらい
・距離感の課題(遠すぎ・近すぎなど)
・状況や相手や親しさによって関わり方を変えることの難しさ
・挨拶や謝罪やお礼などを自然に言うことの難しさ
などなど
あれこれあります。
同じASDのお子さんでも
現れ方が全然違うのでこのあたりも分かりづらいなぁと思います。
また、教え込めば知識としては増えていきますが
それを実地で意味をしっかり理解した上で活用していくことは
なかなか難しいことがあります。
最近、娘(年長・ASD)とのやりとりで
「ASDの社会性って難しい!」と思ったことがあるので紹介します。
「今日、園で、○ちゃん泣かせちゃったんだよね」
「ほう。何があったの?」
「なんか、わざとじゃないんだけど、○ちゃんのブロックにぶつかって壊れちゃったんだ」
「それで、どうしたの?」
「謝ったよ」
「どう言って謝ったの?」
「『○ちゃん、ごめんね。わざとじゃないけど壊しちゃってごめんね』って」
「上手に謝れたね」
「うん、その後○ちゃんと一緒に壊れたところ直したよ」
「優しいじゃん」
「でしょ」
「なんで『ごめんね』って謝ったの?」
(松田は「悪いことしたから」とか「泣いてしまっていたから」とかの答えが出ると期待中)
「だって謝らなかったら、先生に言われるもん」
「ん?どういうこと?先生に怒られるってこと?」
「ちょっと違う。
すぐに謝らなかったらね、
○ちゃんが『娘ちゃんがブロック壊した!』って言いつけに行ったり
周りで見ている子が『娘ちゃんが○ちゃんを泣かせました!』って先生に言いに行くの。
そしたら、先生にめっちゃ怒られるじゃん。
それが嫌だから、謝るのよ」
おおっと・・・。
つまり実害を避けるために、とりあえず謝るってことらしいです。
「な、なるほど。
○ちゃんが泣いて可哀想だなとかは思ってる?」
「それは思ってるよ。
でも、先生に怒られたくないからって方が大きいの」
ふむ。
「そしたらさ、先生に怒られた時とかには謝るの?
いうこと聞いていなくて、とか怒られることあると思うけど」
「んー、謝った方がいいのは分かってるんだけどさ
もうやったこととかできていないこととか、
ばれちゃってるから
なんか謝れないこと多いかも。黙っちゃう」
メリットがないと謝れないこと、判明でございます(^^;)
先日、育てる会の「支援者のための即実践講座」で
加藤先生が海外のプログラムの説明をしてくださっている中で
他の人はこういう風にしているよ、こういうやりとりをするみたいよ
というような知識を知り、学び、出会っていくことは
ASDのお子さんにとって大切である一方で
それは
「そういう風に行動しなさい」と強制することとは違う。
色々な価値観や検討を伝え、
「他の人はこう思っていて、自分もそれをしたいと思うかもしれない」
「他の人はこう思っているらしいけど、自分はそれはしない」とか
そういう知った上で選ぶか選ばないかは
その人の自由だという考え方を教えていただきました。
「悪いことをしたら、必ず謝らないといけない」
「ごめんね、と言われたら、絶対に許さないといけない」
「お友達が『入れて』と言ったら『いいよ』と答えなさい」
などなど
つい親や周りの大人は出来杉くん風の子どもにしようと思いがちです。
でも社会性って本当に奥が深くて
自分以外の皆がそういう道徳的というか、決まりやルールを守るものでもない時に
「なんで謝ったのに許してくれないの!!」
「『入れて』って言ったのに『あとで』なんてひどい!いじめだ!」となると
それはそれでトラブルになるというか。
多様な考え方を知った上で
どれを選んでどう使っていくか
毎日が学びの応用なんですよね。奥が深い…むずい…
幼児期~学齢期・思春期は相手もまだまだ成熟しきっていません。
教えられたことを律儀に学ぶ子どもたちに
「社会性」から派生する「人付き合い」を無理なく教える際
「これが正解」と私たちが頭を固くしないようにしなければなと思うエピソードでした。
(赤磐ぐんぐん療育スタッフ:松田紗代)
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